三池港の築港
三池炭の運搬の効率化を図るため、團琢磨(三井鉱山合名会社専務理事)らは、欧米各国で港湾施設や積込方式を視察し、築港の必要性を当時の三井家事業グループに説き、明治35(1902)年5月着工承認、 同年11月潮止め堤防構築開始、明治41(1908)年3月船渠内に入水して竣工。新港は「三池港」と命名され、勅令により開港場に指定された。
築港工事には、延べ260万人を超える作業員を費やす未曾有の大工事であった。
完成した三池港は、船渠(ドッグ)の広さ13万平方メートル、内港の広さ50万平方メートル、航路の長さ1,830m、幅137mと当時の人工港としては桁違いの大きさであった。
明治の世に港湾の適性のない遠浅の砂浜に1万tクラスの船舶が停泊する港を作り、現在もなお現役で福岡県南部、熊本県、有明地域一体の物流拠点として稼働する港を作ったことは、團をはじめとする先人の先見の明と技術力と熱意の結晶である。
築港前の三池港付近(現在の有明海沿岸道路付近)
完成した三池港(大正初期航空写真)